『ぼっち・ざ・ろっく!』”ぼっちちゃん”の魅力について

 

アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の後藤ひとりことぼっちちゃんを見て”おもしろいなぁ””気になるなぁ”と思った次第であります。

そこで、ぼっちちゃんを見てしまう魅力か何かあるのかと個人的に考えてみました。

 

それでは、はじめます。

 

(以下は超個人的見解なるものです。)(視聴済ありきで書いています。)

 

 

 

 

ぼっちちゃんの魅力ついて

はじめに

魅力といっても一概に言えないです。様々な人の心を惹きつけ夢中にさせるものがあります。魅力は身体的なものから関りを持つことで心の距離が近づいていく等があるでしょう。ここでは、ぼっちちゃんから受ける魅力を単純に以下のような内容に分けて見ていきます。

(1)キャラクター

(2)ぼっち

(3)可愛い

これらの点から見ていきます。

 

 

(1)キャラクター

 ぼっちちゃんのキャラクターとしてなかなか個性的な性格ではないかと感じました。ぼっちちゃんがテレビでバンドの活動を見て唐突にギターの弾いてみたい、活躍してみたいが始まりだが、学校生活を送るうちに上手く馴染めない、人がよく見る興味がある話題や共通する趣味などで会話をすることが出来ないことが出てきたことはアニメの通りでした。

 そこで、ぼっちちゃんの内面が見えてきたことによってキャラクターがわかってきました。以下3点を取り上げます。

(ⅰ)夢を追いかける姿

(ⅱ)否定的な思考

(ⅲ)行動力

 

 (ⅰ)前述の自分でもギターを弾きたい活躍したいが発端で事を始める。その姿は自室の押し入れでギターの練習するのは格好として慎ましながらも、小さな情熱が満ちていると感じる。またギターで弾いた音楽をネット動画にあげる様は、練習した結晶が表れている風に取れる。彼女がここまでひたむきに頑張る姿は、見るものを応援する状態にまで押し上げる。

 

 (ⅱ)誰しも否定的な側面を持ち合わせている。ぼっちちゃんもその1人である。この側面は負の感情が含まれていて、周りをも負の方向へ誘う可能性がある。それは現実でも起こりうるしなかなか厄介だ。しかしぼっちちゃんの場合敷いてはこの作品おいても言えるかもしれないが、コミカルに描かれている。またコミカルさ、だけでなく次の行動の起爆剤かもしれない。コミカルさは見るもの楽しませ明るくし、起爆剤は次のストーリーの原動力となりうるとすれば、否定的な思考は負の側面だけの意味を持たずストーリーを展開させ、キャラクターの魅力となりうる。

 

 (ⅲ)ぼっちちゃんの行動力といえばギターで弾いた音楽をネットにあげたり、ギターを持って学校に行くことから始まり、バンドとして動く第一歩となる。この動くということは一見単純そうに捉えられそうだが、人の行動においては大きな意味を持つだろう。宇宙飛行士ニールAアームストロングがかつて言った「人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩だ」とあるように、その行動はぼっちちゃんの胸の内に秘めるギターを弾いて活躍したいことに繋がることを意味しており、これもまた(ⅰ)と同様に応援したくなる要素を含んでいる。

 

 

(2)ぼっち

 このぼっちとは1人で過ごすことが多く、家族以外との関りがない状態を指します。そしてぼっちちゃんはまんま当てはまり、この姿が見るものに共感を呼ぶ要素があったと思います。またぼっち故の行動がコミカルに描かれることで面白さが引き立てられたこともあるので、ここでは以下2点をあげていきます。

(ⅰ)共感

(ⅱ)コミカル行動(※A)

 

 (ⅰ)ここでの共感は姿と感情の二面があると考えられる。姿とは学校で一人で過ごす様子を指し、アニメおいても珍しくない。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」などがあげられる。姿つまり学校の休憩時間は机に伏して過ごす、お昼のご飯を食べるのも誰かと一緒ではない。より具体的なところおいて、自分の姿を重ね共感の共に感じるのだろう。ただぼっちという時間を一人で過ごす様子を描くのは壁が生じる。壁とは単純に描くと寂しい人になってしまう。同時にコミカルさを合わせることがぼっちちゃんの魅力要素である。例えば、一話のぼっちちゃんが公園にいて落ち込んでいた時、同じ公園にいたサラリーマンに同じ孤独を抱えていると共感したが大いに違って心の中で謝る。個人的には面白いシーンでありぼっちちゃんの共感はすれ違ったが、自分もその通りだと思う心理はキャラクターの魅力になる。

 

 (ⅱ)ぼっちちゃんの行動を勝手にコミカル行動と呼んでいる。これは上記の共感の部分と同じものを含む、そうコミカルである。ぼっちちゃんが初めてのライブの出番で緊張して出られない心持ちになってしまう。出られるためにはどうしたらいいのかで段ボール箱を被ることになった。奇抜だろう、可笑しいだろう。だが本人はいたって真面目だし、私も楽しんでいる。共感部分と同じように、行動の隣には単純にこの人は何してるのだろうと受け取られる。魅力になりうる点において共感や面白さ、(1)であげたキャラクターがコミカル行動をぼっちちゃんを見続けてしまう。なんといったってあの幼稚園児でさえお尻を出し、振り続けていたのだから。

 

(※A)ここで表したいのは一種のコメディにおける、普通はこんなことしないだろうと思うに反して行動することで演者と視聴者にズレがおき、そのズレが笑いを誘い面白がるに繋がること。

 

たとえば、ドラマ「Mr.ビーン」のとあるシーン

車で買い物に行ったビーンが、荷物を買いすぎてのせきれないと。

そのとき取った行動が、自分が車の上にのってそこから運転する。

荷物を買いすぎたら郵送したりしそうですが、そのズレがおもしろいところではないかと。

 

引用元:『ジョニー・イングリッシュ』(感想)Mr.ビーンの人 - とらゆにばーす

 

 

(3)可愛い

 ぼっちちゃんの可愛いについては、(1)で述べたキャラクターにおける魅力や(2)で述べたぼっちにおける共通意識、コミカル行動の魅力がある。また可愛いは外見、性格などそれら色々混ざった複合的な要素を持つと考えるため、以下では外見、イメージについて見ていきます。

(ⅰ)外見

(ⅱ)イメージ

 

 (ⅰ)外見についてはそのまま見た通り髪の毛がピンク、服がジャージ、だいたい高校生(ジャージだからわかりにくい)、かわいい顔とあげるのはここまでにする。さて、外見における可愛いは赤ちゃんや犬を思い浮かべるだろう。所謂丸みを帯びた顔や愛らしい動きが人の心のプラスの感情を発生させる。しかしながら、ぼっちちゃんは可愛い顔を持ちながらも、精神的に追い詰められると顔が崩壊したり、妄想を始めると軽快な動きをするなど、可愛いから遠ざかっているかもしれない。ただ、ぼっちちゃんの可愛いが霧散していかないのは、冒頭に無表情ながらも可愛い顔が出てきたのと髪がピンク色という心理的な効果とともに、やはり上記で取り上げた(1)キャラクター、(2)ぼっちというぼっちちゃんの特性が関係していると考える。

 

 (ⅱ)昨今のアニメキャラクターにおける可愛いのイメージは、レム(Re:ゼロから始める異世界生活)や四宮かぐや(かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~)がある。前者は心を許した相手に献身的で温かく、後者は言わずと知れたツンデレである。作品の種類の違いはあるがどちらもデレのような甘いとも言える可愛いが存在する。しかし、ぼっちちゃんとは似ていない。イメージの可愛いはないと思われるかもしれない。そこでわかったことは繰り返しになるが上記であげたストーリーで変化するキャラクターや追体験であるような共感が可愛いを保ち押し上げる要素となりうるものである。

 

 

さいごに

 やっと最後になりました。魅力について(1)キャラクターではどのように思ったり動いたりするのかを取り上げたり、(2)ぼっちでは共感から面白さが出てきたり、(3)抽象的な可愛いを話したりと。個人的にはキャラの可愛いとあぁ自分もそうだなと思う共感が大きい要素ではないかと思います。これはネトゲ廃人異世界転生、陰キャ、コミュ障とか様々な形で呼ばれるものが親近感を沸かせストーリーを進めることで新たな世界へ誘う、視聴者のアニメへの異世界転生があるかもしれません。(←自分でも何を言ってるかわかりません。)

 ぼっちちゃんの魅力は人それぞれ個人的解釈があると思います。アニメを楽しく見て人生の色どりを豊かにするために、平和にアニメに勤しみたいです。

 ちなみに今の私の好きなアニメキャラクターは宮内れんげ(のんのんびより)です。

 

語りの詰めが甘いのは大目に見て下さると助かります。

 

<参考>

可愛い - Wikipedia

【人気投票 1~999位】可愛い美少女アニメキャラランキング!最も萌えるのは誰? | みんなのランキング

 

 

以上

 

追記

ぼっちや作画、音楽の組み合わせか。

はたまた、人が変わったものを面白がり見ている部分があるか。

いわゆる怖いもの見たさならぬ面白さもの見たさか。