『ザ・フラッシュ』【感想】スーパーヒーローの境界と魅力

 

DCエクステンデッド・ユニバースの12作目になる「ザ・フラッシュ」。

スーパーマンワンダーウーマンと世界観の繋がりのある本作は、監督アンディ・ムスキエティ、「IT/イット」シリーズで有名な方です。

DCは「マン・オブ・スティール」や「ブラックアダム」など作品を展開してきたわけですが、今回は一体どうなる事やら、、、

以下ネタバレありの感想です。

 

 

 

<作品紹介>

公開年  2023年

監督   アンディ・ムスキエティ

ジャンル スーパーヒーロー・アメリカ映画

 

 

キャスト

バリー・アレン/フラッシュ(エズラ・ミラー)・・・主人公、ジャスティス・リーグのメンバー

ブルース・ウェイン/バットマンベン・アフレック)・・・ジャスティス・リーグのリーダー

ブルース・ウェイン/バットマンマイケル・キートン)・・・違う世界線バットマン

カーラ・ゾー=エル/スーパーガール(サッシャ・カジェ)・・・クリプトン人

 

 

あらすじ

フラッシュ/バリーはジャスティスリーグの一員として活躍する。父親のヘンリーは妻殺しの容疑で投獄されており、悲しみ暮れる。ある時、偶然にも過去に行くことが出来る自身の力に気づき、バリーは母親を救うため走り出す。

 

 

 

<感想>

 

現在と過去、どちらを向いていくか

フラッシュはDCコミックスのスーパーヒーローで、スーパーマンワンダーウーマンバットマンを中心としたジャスティス・リーグのメンバー。

 

日々ヒーローの活動を続けるバリーは悩みがあります。それは母親の死と父親の不当な投獄の話。

 

母親ノラ・アレンは自宅にいた際、何者かが侵入し殺されてしまう。その殺人の罪として父親ヘンリー・アレンが捕まったと。

 

比べるのは変な話ですが、ブルース・ウェインと似た境遇を持つようで、仲良さげに見えるのはそれぞれの出来事があるからでしょう。

 

そんな時、バリーは自分のスーパーパワーで過去に行くことが出来るようになります。

 

ここから”現在”と”過去”の対比が今作のテーマにですね。「ダークナイト(2008)」においても過去に負った心の傷、両親の死が現在の恐怖を作った話がありましたが。

 

フラッシュ/バリーは過去と向き合う前提が崩れ、過去に干渉可能な状態になります。

 

そしてブルース・ウェイン(ベン・アフレックの方)と会話をした際、”過去に使命はない”と言われます。つまり個人的な願いのためにパワーを使い、大いなる責任から外れるのです。

 

もうひとつあるのは過去に干渉可能だとしても、現在と過去どちらに向き合うのかが問われてもおかしくないかと思います。

 

大いなる力の話は、ご存じの通り”スパイダーマン”のことですね。私利私欲のために力を使うと大切な人を見失う、ことが言えます。

 

同時に現在と過去の向き合い方は、結論として映画の結末に”不可避の交差”や”時間閉曲線”の話を用いると、過去は変わらず出来事は必然にして起こると考えられる。

 

人ましてやスーパーヒーローが干渉したとしても向き合うべきは現在であり、バリーの母親は戻って来ず、父親と容疑を晴らす方に力を注ぐべきのではないか。

 

また向き合う事象が現在となるが、それだけではなく未来がやって来るのは”今を何をするか”で変化していくなら、選択肢は決まってくるだろう

 

ブルース・ウェイン(ベン・アフレックの方)が言う”悲劇を繰り返すな”の本質があるのではないか。

 

ただし、これが正解ではなくひとつの解として見る方が良いと思います。人の選択に必ずしも正しいということはないのですから。

 

「ザ・フラッシュ」はあったことをないことにしたいが、悲劇を招きました。

 

アベンジャーズ エンドゲーム(2019)」でも同じような出来事があるので、一概に言えない難しさを感じますが、本作は良さを感じきれず終わったように思います。

 

 

 

フラッシュが沢山いて分からないので、整理してみた

超能力である高速移動によって過去に行けるわけですが、計三人のフラッシュ/バリーがいましたね。列挙してみると

 

1.現在のバリー

まず現在のバリーは少年期に母親を亡くし、その後スーパーヒーローになります。

 

2.18歳バリー

次に18歳バリーは現在のバリーが母親を救うために過去行った後、戻る際に途中で辿り着いた世界線の自分。アナザーバリーですね。

 

3.ダークバリー

最後のバリーは18歳バリーの未来バージョン。無数に枝分かれした世界線のひとつの自分。スパゲティの法則ですね(ブルース・ウェインが言ってたやつ)。スーパーガールを救いたい18歳バリーは、現在のバリーが母親を救うのを止めると世界線が存在しなくなるので、無限の時間をタイムループしていた。

 

下図より、過去を改変することで世界線が分岐し、18歳バリーとダークバリーが表れる。

 

 

黒線と赤線が交差するところが、不可避の交差と呼ばれる。いわゆる起点になると思います。そこの部分から歴史が変わり、果てはマルチバースになる(たぶん赤線は無数にある)。

 

結果、世界の構造が崩れるため現在のバリーは母親を救うのを諦めた。

 

ここでも前述した過去を変えるために翻弄する姿がありますね。

 

イムループ、自分との対峙、アナザーバットマン、スーパーガールと内容が盛り沢山で、エンタメ要素が楽しめました。

 

しかし目に付くのは、結末であり”フラッシュ”がヒーローとして何かに目覚め、新しい姿が披露されると期待しました。

 

母親の死を乗り越える意味では成長はあります。対して父親の罪を晴らすため、過去を改変しているのは、同じことの繰り返しではないかと。

 

そうすると映画自体の結末も納得のいかなさあります。

 

別エンディングが当初あったとされる、ブルース・ウェイン(マイケル・キートン)とスーパーガール(サッシャ・カジェ)がラストシーンに出てくるもの。

 

終わり方の話でありつつも、上記の二人のキャラクターが”勿体ない”と言えます。

 

 

 

スーパーガールの活躍をもっと見たかった(願望)

スーパーガールことカーラ・ゾー=エルは、サッシャ・カジェが演じてます。なかなかハマり役だと思うのですが如何でしょうか。

 

やはり役柄として凛々しくて逞しい存在が見れたのは良かったです。

 

ただ今回のスーパーガールはフラッシュ/バリーが時間軸を変えたことでで表れたアナザーヒーロー的立ち位置のためか、最後まで活躍を見れず残念、、、

 

これはバットマンマイケル・キートンも同じく言えることであり、”勿体ない”です。

 

DCの制作陣または経営陣は方向性の違いと捉えれますが、せっかく登場したのだから単独映画を作っても良いくらいですね。

 

仮にスーパーガールの映画があれば、シリアスとポップさを合わせた物語を展開してほしい。おそらく別の世界線ではスーパーマンがいないので使命の喪失(生きる目的)。

 

それからロシアに捕まっており人類の生活に馴染みがないギャップ(戸惑いとか)。

 

まぁこう考えている時点でフラッシュと同じく過去に囚われているかもしれませんね。

 

またどこかで活躍することを期待しましょう。

 

 

 

さいごに

全体を通して、前半はついにDCもユニバース展開するのだなと楽しみを持ち、後半になると思わぬ方へ向かいました。

 

最近はDCまたはマーベルにおいても、単独映画にヒーローを安易に出し過ぎてはいないかと思うのです。

 

キャラ立ち一本では観客を振り向かせるのは難しいのか、それとも流行りのためか。

 

それぞれのキャラクターが一緒になる魅力もあるにはありますが、はたして今のままでは疑問が残ります。

 

 

以上

 

 

 

<参考>

www.businessinsider.jp

 

www.hollywoodreporter.com