今回はピノコにまつわる話が出ており、原作にもある内容ですね。
11作目は12作目と同様にシリーズの完結編となっており、また絵の特徴が変わったのだと思います。おそらくセル画からデジタル画に。
すこし残念ではあります。
個人的にはセル画のOVA版ブラックジャックが好みだったので。
以下ネタバレありの感想です。
<作品紹介>
制作年 2011年
原作 手塚治虫
監督 出崎統
ジャンル アニメ・医療
キャスト
西園寺ゆりえ(CV:坂本真綾)
高尾(CV:中村悠一)
あらすじ
舞の流派として大きな規模を持つ西園寺家の西園寺ゆりえは、切除しても再発する腫瘍に悩まされ倒れるほどであった。また舞を踊れる日まで生き永らえるためにBJに治してもらうよう依頼をした。ゆりえが倒れる度にピノコもまた原因不明の発作で倒れる。ピノコとさゆりに何が起きているのかを調べ始めるBJである、、、。
<感想>
ぶっちゃけ好みではない
いきなり思い切ったことを言ってますが、やはり正直がいいかと。なのでどこがというお話をしたいと思います。3点に絞ってみます。
1つ目がBJの声ですね。ご存じの通りBJのCVは大塚明夫氏ですが、声を聞いた瞬間にBJの声ではなくて「メタルギア」のスネークの声かというぐらいの低い声でした。今までのカルテ1~10の若干高めだと思うのですが、お歳を取られたのでしょうかイメージとは離れていました。仕方ないと言えば仕方ないですね。カルテ10からカルテ11までの間に11年経っていますから。
2つ目がBJのキャラクターというかよく話すなぁと思ったこと。状況説明である語り部がBJになっているのが、OVA版BJの寡黙で大人な人物像から離れてしまっていると感じます。たしか今作のカルテ11以前のシリーズでは、例えばタクシーの運転手が語り部であったり、BJが語ったとしても端的と言うか長く感じないっというのが特徴だった気がするため、納得がいかない感が否めない。
3つ目が会話についてです。あまり挙げてもあれなんで。1個だけ言うと、西園寺ゆりえが初めてBJに手術の依頼をした時の話です。ゆりえが「あなたなら出来るよね」に対してBJが「金さえあれば」と。いやぁさすがこれはないかな、です。基本的に命を救ってほしい願う思いに応えてが、OVA版BJのやり方と思っていました。お金のやり取りだけの時は「カルテ1 流水、キマイラの男」のようにBJがお金よりも命を救うことに重きを置くタイプとして表現してほしかったです。
実際に、BJのキャラクターは必要最低限の語りや話をしているが故に寡黙な人物が特徴的に映っているのかもしれません。
感性で話しているので間違いがあったとしてもご了承ください。
襖越しの姉妹の再会
ラストシーンの西園寺ゆりえとピノコが再開するシーンで、再会して良かったの感想ではなくて驚きやゾクッとしたことです。たしかにゆりえは西園寺家の呪いによってピノコを捨てる決断をしました。その決断に後悔を表していたことも劇中であります。そして再会に驚きと喜びを感じていたでしょう。しかし筆者は恐怖とまではいかなくともゾワッと感がありました。ピノコの別れのあいさつで「バイバイ、お姉ちゃん」のところです。
死んでしまったと思い込んでいる姉妹が、襖越しとはいえほぼ目の前に表れたのは驚きが勝る出来事ではないかと思います。視聴者側はストーリーからゆりえとピノコが姉妹であることは分かっていました。BJも頑なに2人を会わそうとしなかったため、再会はないだろう踏んでいた矢先の描写が、驚きの感情をフルに押し上げる要因だと感じる瞬間であります。
BJの西園寺ゆりえに対する態度
この話はゆりえがピノコのについて聞いた時のシーンです。話の時系列的に上記のラストシーンが後になりますが、話したい内容がアニメよりかは人の話で、それはBJが2人は(姉妹)「別々の道を歩んでいるのだから聞いてどうする」と答えます。その答えが腑に落ちなくて、ピノコが決めることではないのかと思ったことです。姉妹はピノコですし、ピノコにも意思があるので答えさせてもいいのではないかと。一方で理由があったとしても命を軽んじるゆりえの思いを汲むのは違い、関わらせないことになると考えたりしますが、こればっかりはよく分かりません。
さいごに
今作のOVA版ブラックジャックは酷評よりになってしまい、まぁこれも感想かとひとりで納得しています。時代とともにアニメも変わっていくということ何でしょうかね。(アニメの作り方とか)寂しくもあり期待もあります。期待の部分で言うと、京都アニメーションの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はとても綺麗な絵をしており、今後のアニメ作品が楽しみになりますね。
以上
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