『ブラックジャック 劇場版』【感想】ジョー・キャロルとBJ成すことは違い、貫く思いは同じか否か、、、

 

OVA版シリーズの派生的な1996年に公開された劇場版です。

カルテ6が96年作なので、その時期に作られたのでしょうね。

今作も出崎統監督の出崎演出が存分に発揮されています。

影を使った絶妙な暗いシーンや印象的な光の表現それから主張を強くする止め絵が描写されており、作品を楽しめる要素となっております。

さて本題に入ります。

以下ネタバレありの感想です。

 

 

 

<作品紹介>

公開年  1996年

原作   手塚治虫

監督   出崎統

ジャンル アニメ・医療・劇場版

 

 

キャスト

ジョー・キャロル・ブレーン(CV:涼風真世)・・・セントジョエル研究センターの 主任ドクター

エリック・カデリィ(CV:星野充昭)・・・セントジョエル研究センターの脳外科医

ベティ・マッコール(CV:井上喜久子)・・・セントジョエル研究センターの麻酔科医

 

 

あらすじ

オリンピック開催されると瞬く間に選手たちが新記録を樹立していく。世界中が盛り上がり”超人類”と呼ばれるが、選手たちにある病が襲っている。一方、BJはリサ・シーゲルという女の子の父親から呼び出しを受ける。手術をし術後も完ぺきであったはずが再発を起こし帰らぬ人となる。その後新たな仕事で、手術中に女性が割り込んで代わりにこなしてしまう。女性はジョー・キャロルという名で、BJに仕事の依頼”超人類”に関することであると言う。

 

 

 

<感想>

 

BJとジョー・キャロルの対比やキャラクターについて

主人公BJとキーパーソンとも言えるジョー・キャロルが、今作におけるメインの話に関わってくるので、ここでは2人を中心に感想を書いていきます。

 

BJはご存じの通り、天才的な外科医の腕を持つ無免許の医者で、かつモグリの医者ですが人を救うことに長けている、劇中においても誰もが認める人物です。報酬は多額ですが、OVAカルテ7のようにお金がない人には1ドルの借用書でも構わないという自身の特徴を活かしたやり方をしています。

 

ジョー・キャロルは表向きは研究所の主任ドクターでありながら、実際は製薬会社の新薬開発に取り組む姿が映り出されます。最初の方は”超人類”と呼ばれる人たちを救うために行動していると思いきや、新薬を開発するために人体実験を繰り返している事実が明かされます。

 

そして話のポイントを置きたいのが、BJとジョー・キャロルは命を救う側と命を奪う側(命を粗末に扱う)であり、また2人が強い思いを持って行動していることが分かります。

命を扱うことについては明確な違いが存在します。”超人類”の人たちを救うために奮闘するBJと人類に進化をもたらそうとするも非人道的なやり方になってしまうジョー・キャロルは真逆の立場にあります。後述しますが、2人の対比はOVAカルテ4のドクターキリコとBJとは違った対比が見られます。

強い思いに関しては、どのOVA版でもあったようにBJは命を救うことに、対してジョー・キャロルは心のトラウマを払拭するあるいはかつての自分への慰めのために行動していく。貫く強い思いの観点で見ると、目指す先は違えど共通した信念があったように捉えられる。BJもOPであった母親を亡くす悲しい過去から今の姿を成しているとするならばです。

 

そうした上記のことから、主役BJと敵役ジョー・キャロルのキャラクターの過去があると、なぜその行動をするのか、何を思っているのかの意味を表し、共感する部分を得たりして、魅力的な作品になり面白くなると思います。

 

もう1点挙げるなら、ジョー・キャロルもまたBJの患者であったことです。BJは医者として共通した姿が描かれる。一貫した活躍を見れるのも楽しめる要素でしょう。

 

BJとジョー・キャロルの対比やキャラクターについて、BJとドクターキリコが同じ立場から人をどうやって苦しみから救うかが観点としてある一方で、書いていて思いついた良い例えが「ダークナイト」のバットマンとジョーカーような対立が存在し、明確な善と悪ではないが、大きな役割を持っていることかと。アニメ然り映像作品を視聴する上で、立ちはだかる手ごわさやキャラクターの味とも言える心情描写が強調されると感じます。

 

 

 

「テーマが持つ面白さ」と「行き過ぎた合理的科学的社会の悲惨さ」

ジョー・キャロルに関しての話になります。劇中では、合理的科学的な世界はもう沢山という個人的な思いから人類の進化を目指す描写があり、その世界の犠牲者であると分かります。

 

この合理的で科学的な世界または社会を目指して犠牲者が出たり、綻びが出る話はよくあるテーマの作品かと。ジョー・キャロルが人工授精で生まれた話より、人工について映画「アイランド」のクローンや社会の発達より「アイ、ロボット」「ターミネーター」が挙げられると思います。いずれにしても合理的科学的な進歩を遂げたがやっぱダメじゃんで戦ったり争いを終わせる話がありますね。

 

そこで個人的に思ったことは、今作では纏わりつく合理/科学の脱却みたいな感じだったが超人類には負の側面があることで、BJの見せどころがやってくる。他作品で「ターミネーター2」を例に挙げるとAIが発達して暴走すしシュワちゃん演じるターミネーターが銃ぶっ放す流れです。

 

内容としては全く違いますが、事件性というか出来事が起こる意味では共通しているのかと思います。超人類の破綻によってBJの活躍、AIの暴走によってシュワちゃん活躍が主要キャラクターのきっかけとなる行動や特徴を活かした演出、描写があります。そもそも超人類やAIと言われると近未来のキラキラした響きが聞こえるのは筆者だけですかね、、、。

 

そうしたことから人類の進化やAIによる支配は非現実的な世界や転換点となる出来事が好奇心をくすぶり、テーマが持つ面白さを掻き立てると思います。

 

一方で、合理的科学的に突き進んだ社会の理不尽な扱いを受ける姿が悲惨なものであることも感じます。厳密には過剰で歪な様子を指すかと。素直に受ける印象は、度が過ぎた社会は楽しそうには見えないこと。ジョー・キャロルが目指した新しい世界は明るいはずだったが、大きく間違っていた。BJの言うように、そこに同情の余地はないが超人類でなくとも、理想とする世界は悪いものではないかもしれない。

 

 

 

いろんな内容が含まれる中で大切なこと

テーマっぽいことが沢山盛り込まれいたように感じましたが、どうなんでしょう。BJとジョー・キャロルの対立、合理的科学的な話、人の精神的な話これはジョー・キャロルにも当てはまりますし超人類となった人たちにも当てはまりそうです。そしてラストシーンでは環境問題まで出てきて頭がいっぱいになりそうです。なりそうですが、特にといった内容は命の大切さですね。BJが迫る勢いでジョー・キャロルに問うたことからも、OVA全編通した事でもあります。今作が一番命に対して感情を露わにした時だったと感じます。怒っているし殴りかかりそうになってます。とあるの上条ではなかったですね。

 

 

 

BJの寡黙な印象の正体

正体と言っても大層なものではないですが、前々から思っていたBJの寡黙で大人の雰囲気があるなと観ていて感じていたわけで、どこらへんにあるのかと今回の劇場版の中から探してみました。

 

まずBJが話す場面は、会話と場面や出来事の説明があります。この両方に印象を持たせるものが含まれると感じます。会話では必要最低限だけで、後は会話の相手がどんどん話してくれる様子があります。場面や出来事は一応BJが語り入るのですが、簡潔にというか簡素にまで収められており、さらに描写、絵で表すことで見て感じ取るものや間に挟むことで語りだけで窮屈さ飽きを起こさせない工夫が施されていると思います。

 

よって単純に話すシーンが多いと感じるより、会話の簡潔さと描写と語りを使い分けることで印象の正体が見えてきて、雰囲気が出ると素人ながら辿り着きました。

演出に関しては、冒頭で述べた監督の出崎演出が活かされていたと。強調するシーンは白で明るさを点したり、止め絵にしたりするのでしょう。

 

 

 

さいごに

個人的には劇場版ブラックジャックは良作の方と思います。BJの活躍がもれなく見られることからです。

 

なにせ良かったということを存分に語りたかったので、いつもより多めに書きましたが話が纏まりきれていないところはご了承ください。なにぶん今回がOVA版BJの最後の感想となりますゆえ。

 

2023.11.03時点ではYoutubeで見れるので良かったらご視聴ください。

 

OVAシリーズはこれで終わりとなります。あとは以前にもやろうと言った、まとめ記事でも作ってみようと思います。その後は「ダークナイト」が好きなので三部作の感想を書いてみるのも良さそうです。

 

 

以上