80年代の大人たちが懐かしんだ、いわばノスタルジー映画の代表作のひとつに「スタンド・バイ・ミー」が挙げられるのではないだろうか。
本作は筆者にとってノスタルジーとは離れた、子供の思いに注目する感想になりました。
以下ネタバレありの感想です。
<作品紹介>
公開年 1986年
監督 ロブ・ライナー
原作 スティーヴン・キング
キャスト
ゴーディ(ウィル・ウィートン)・・・主人公
クリス(リヴァー・フェニックス)・・・ガキ大将
テディ(コリー・フェルドマン)・・・眼鏡、無茶な男
バーン(ジェリー・オコンネル)・・・臆病
あらすじ
1959年の夏、四人組の少年たちは列車に轢かれた死体の話を聞き、探しに行くことに。性格も家庭環境も異なる彼らは旅の先々で、時には喧嘩をするも、力を合わせて冒険に出る。
<感想>
子供という存在が置かれる環境
「スタンド・バイ・ミー」の作品で、主人公ら四人の少年たちが冒険をする話です。兄を亡くしたゴーディ、ガキ大将だけど根は優しいクリス、だいぶ無茶な男テディ、臆病なバーン。
彼らには、それぞれの親や兄弟がいて、異なった性格の人物が集まった印象。その中でも、ゴーディはとても優しくて面倒見の良い兄を亡くした話があります。というのもクリスとゴーディの会話の際、”環境”が大切だと言ったことが考えさせられました。
少し「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」と似た雰囲気がありますね。
どんな環境があるのか、ひとつずつ見ていくと友達との付き合い、やりたい事と才能に関する話、そして親が関係してきます。
友達との付き合いは、どんな人と一緒にいるかで自分への影響が考えられます。やりたい事と才能では、何もしていない状態より好奇心を活かさずに自身の能力を放置したままでは宝の持ちぐされになる。
また、親も環境のひとつとして捉えることが出来、無関心や自己を否定する人では良い環境とは言い難い。
ゴーディは少年であるという時期が、純粋で繊細、そして多感な時期でもあるため悩んでしまうのは無理もありません。
例えば、よくありそうな話を使うと、勉強をさせたいと受動的に机に向かわせるやり方はあまり理想的ではないと。勉強が好きならば良いですが、好きでなければ少しもったいないです。
決してやるなとは言えませんが、程よくやりつつも好きを追求する自由な時間があると理想に思えます。
ゴーディの選択として、どんな環境でも求めてはいけないことはない。それは幸せや楽しさ、時には逃げだって。子供の選択肢は大人と比べて多くはないが、選んで良い自由があると良い環境と言えますね。
人の見られ方
映画を通してもう一点印象的だったのが、クリス(ガキ大将、根は優しい)の人から見られる姿が自分自身だけでなく、周りいる人によって変わるというもの。クリスの場合は兄ですね。
これはイメージの話であり、レッテルを貼られる話にも繋がります。
子供は学校の先生や近所の人から見たイメージがあり、また先入観と言っていいほどのその人のが持つ見方があると。
真面目で大人しいイメージ、イタズラばかりするイメージといった、人が単純にタイプとして決める傾向があるのはよくある話かもしれません。それから大人しいからといってイタズラしないわけではないですね(先入観に当てはまるかと)。
ただイメージを持つこと自体が良い悪いの話ではないですね。何か出来事があった時、その出来事によってイメージを決めてしまうのが、クリスの悩みどころでした。
一度決まると変えにくい、しかも生きずらさまで感じるのが胸に来るものがあります。
この現象は悪いイメージによく起きるでしょうか。ニュースで見る芸能人の事件や不倫などによって、一変して対象者のイメージが決まる。
そしてほとぼりが冷めるまで休止する流れは、想像に難くないです。
人の見方は単純に決まる、一方で見られる側は色々と考える。
しかし周りの人たちは好きなように見ることは出来ても、クリスの友達(ゴーディら)は事情を知らなくても、聞いて初めて知ることで本当の姿を見ることが出来ます。
そうすると一緒にいて楽な存在は友達であり、映画のラストシーンで大人ゴーディが昔を懐かしむひとつの理由ですかね。
子供なりの”理由探し”
主人公ゴーディは優しい兄を亡くしたことで、自分が悪いのではないかや自分が死んでいればと悲観的な思考になります。
また旅の途中で会ったお店のおっちゃんに、聖書には”生きるものは死にゆく”みたいなことを言われましたがどこか受け止めきれない様子。
そこで死体探しの旅が何を意味するのかを考えた時に、ゴーディにとって分からないことへの理由探し。
つまり兄がなぜ死んだかを知りたいことが、本作で描かれていると捉えました。
補足として、ゴーディが旅を続けるかどうかの際、なぜ歩みを止めないのだろうか。死体探しは気分が乗らないと言っていたのに。
しかし兄の死が大きく関係していると思うと納得感はあります。
物語の終盤を迎え見えてきたのは、旅の目的である死体を見つけたが死体は死体でしかなく、さらに人の死を持ち上げることはカッコ良くはない。
最初に少年たちが感じていたワクワクした高揚感はなく、現実を知った時間がありました。人の死は戻らないことも。
ゴーディも兄の死は変わらずあり、悲しみや苦しさ、モヤモヤした感情を受け取る時間が冒険にはあった。
そうして色んなことを受け取めていき、人は大人になっていくと。
ついつい「生きる意味とは?」とか「死に意味はあるのか?」と哲学を考えて、堂々巡りをしてしまいます。
答えを求めても良いが、生や死を受け止める心を用意するのも必要かなと。
色々後回しにすると、振り返った時に悔やんでも遅い場合があります。文字通りの後悔ですね。
ゴーディは意図せずして、そうした大切な時間を過ごせたと思います。
さいごに
少年たちの心情を中心に感想を書いたつもりですが、他にも思ったことがありました。
本作「スタンド・バイ・ミー」はノスタルジーの側面を表現しつつも、原作がスティーヴン・キングゆえか人の怖さがホラーとして出ていた気がします。
懐かしむということは過去に思いを馳せる意味で良いですね。しかし筆者は未来に思いを馳せるのも良いと思います。
新作の映画とか、、、
以上