『インセプション』【感想】夢が階層する世界///もたらすのは幸か不幸か、、、

 

こちらはクリストファー・ノーラン監督作品です。

登場人物や映画を観る観客を夢の世界に誘うわけですが、ん~難しいというかややこしいというか分かろうとするのに時間がかかるやつですね。

たぶん2~3回は観ているはずなのに。

なので今回はメモをしつつ、なんとなく分かったことを含めて感想を書ければと思います。

 

以下ネタバレありの感想です。

 

 

 

<作品紹介>

公開年  2010年

監督   クリストファー・ノーラン

脚本   クリストファー・ノーラン

音楽   ハンス・ジマー

ジャンル SFアクション・アメリカ・イギリス映画

 

 

キャスト

ドム・コブ 役(レオナルド・ディカプリオ)・・・潜在意識にある情報を盗むスパイ

サイトー/斎藤 役(渡辺謙)・・・実業家、めっちゃ金持ち

アーサー 役(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)・・・コブの相棒

アリアドネ 役(エリオット・ペイジ)・・・学生、設計士

イームス 役(トム・ハーディ)・・・偽装師、作戦立案や銃火器を扱う器用な人

ロバート・フィッシャー 役(キリアン・マーフィー)・・・標的、父との関係に難あり

 

 

あらすじ

コブとアーサーは実業家サイトーの情報を盗むためにアーサーの夢に入っていた。コブが盗む最中に事がバレてしまい、夢から覚める。サイトーに情報を渡すよう脅すがまだ夢の中であると知られ2人は逃亡を図る。他国へ逃げる際2人の協力者であった男が口を割り、サイトーに居場所を特定される。そこで、コブの産業スパイの実力を買い、ある依頼をする。ライバル会社の跡継ぎに”インセプション”頭の中にアイデアを植え付け会社をツブすことであった、、、

 

 

 

<感想>

 

押さえておきたい2点「サイトーのライバル会社をツブす話」「コブの罪の意識」

ややこしい理解しにくい話が続いてどこを押さえておけばいいのかというのが根本的なことと思い、そこで見出しにある通り2点が大筋の話より書いていければと思います。

 

先にかんたんな設定説明から

エクストラクト・・・頭の中の情報を盗る、コブがやっている仕事

インセプション・・・上記とは違いアイデアを植え付ける、できるには困難を極める

夢・・・思いつきの連続の世界=なんでもできる世界

虚無・・・夢から覚めず夢の中で死んでしまうと落ちる世界

設計士・・・夢の中の世界を作る人、建物とか

偽装師・・・夢の中に偽りのアイデア=情報を植え付ける人

 

 

サイトーのライバル会社をツブす話

ライバル会社は跡継ぎロバート・フィッシャーが将来持つ会社で、ツブす方法が頭の中にアイデアを植え付け、ロバート自身に会社を傾けさせるようにしたい。

 

で、詳細について。どんなアイデアどうやって植え付けるかです。前提としてアイデアを植え付けるにはイームス(偽装師)より「夢の深さと植え付けるのは単純に自然なもの」。自然でなければ自分のアイデアではない、何かされた違和感を持つから。

 

どんなアイデア

・アイデアは先入観がある父子関係を利用する(やりやすいから)。ロバートは父親との関係に難がありと父親の最後の言葉がお前には失望したと。

・これらとロバートの名づけを親を利用して、ロバートが父親に嫌われず父親である自分をマネすることに失望したと偽装する。

・父親に愛されていて父親とは違う自分の道を行く(=会社を存続させない)ことで目的が達成される。

ここまでがアイデアを植え付けて芽生えさせる流れです。

 

どうやって植え付けるかは、夢の深いところで行う(潜在意識の深いところ)。深いところの理由は先ほど述べた父子関係の先入観と同時に、先入観を変えた後の考えが自分のアイデアでなければならないために深い方がインセプションするのに好ましい。

 

夢の深さの補足で、劇中の話に添わせると第1階層~第3階層の深さがあり、後半にあった第3階層は潜在意識が深い(たぶん眠りが深い)ところでアイデアを芽生えさせ(親との不和が不和でないに)、手を加えられたとは気づかず無意識的に思考を変えさせる。ロバートの会社を壊すように持っていく。

 

 

コブの罪の意識

これは断片的に語られているので、話を繋げてやると分かりやすくなると思います。と言いつつ結論から話してしまうと、コブがモルにアイデアを植え付けたのでした。現実の世界が”ここは現実じゃない”と。夢の世界に居続けるためにしたことが現実と夢の区別がつかなくなって、モルが現実に戻るために死を選んでしまう。

 

コブは自分がアイデアを植え付けたせいでモルが死んでしまったことに罪悪感を覚えたのだと思います。

 

 

 

夢の”虚無”の世界について

夢から覚めずに夢の中ので死んでしまうと虚無の世界に行ってしまう。コブとモル、ロバートそしてサイトーがいた場所です。虚無の世界は現実と夢が区別できなくなる、混沌とした場所でもあります。

 

しかし疑問なのは、ロバートが落ちたところ後からサイトーが落ちるところにコブとモルが作った家がなぜあるのかです。これではまるで夢が共有されている状態を想像しました。

 

そこで分からないなりに仮定を立ててみます。先ほど述べた夢の共有状態。共有状態とは、虚無の世界において人の潜在意識の無意識の共有という言い方でもいいのかなと。つまり人同士の潜在意識の境界が薄い。境界がないわけではないのは、意識を完全に共有してしまうと夢の中で自我を保てないからだと思います。もし意識の境界がないと、合っているか分かりませんが攻殻機動隊の素子と人形使いの状態になってしまうのが良い例かと。

 

結論としてコブやモル、サイトーたちは現実では死んでいないが、現実と夢があいまいな場所”虚無”の世界では潜在意識の境界が薄いため、ロバートが落ちたところにコブとモルが作った建物があるのかなと思います。

(個人的に思ったことなので合ってるかは分かりません笑)

 

 

 

夢=なんでもできる世界は幸せか?

なんでもできるのは、時間が有限であれば幸せと感じるかもしれません。コブとモルが50年くらいの歳月は幸せに満ちた時間だったでしょう。ただ代償は存在するので良さばかりではなさそうです。

 

現実の世界を生きれないこと。そして時間が半永久的に続くことです。モルのように現実が分からなくなってしまうと子供とまともに過ごせないですし、子供でなくても同様に考えられます。時間がずっと続くのは案外きつそうです。

 

また時間に関して色々な作品で語られるようなことで、精神の摩耗が起こると思います。人の精神は人が生きる以上に保てない気がします。肉体と精神はつながっているという言い方はちょっとスピリチュアル的ですけど、おおかた肉体が滅べば精神も滅ぶようにできていると思うと、夢の世界は遊ぶところとする方が幸せですかね。

 

一方で夢の世界は自由に行動できると思うと、使い方によってはメリットになり得るはずです。夢とは意識の中の世界ならば、現実で自由に体を動かせない人にとってはVRのような動き回れる場所になり夢がある世界ができあがると思います。夢だけに、、、。

 

 

 

さいごに

そもそも話で夢の中でなぜあんなに建物を作ったり変装することが可能なのかと思っていたら、wikiに「明晰夢」夢を自在に操れることが書いてあって、なるほどなと。もはや特殊能力に近いやり方であれば納得がいきます。

それにしても夢が階層する作品を考えるのもすごいですし、夢の世界とコブが抱える話を交差しながらストーリーが展開していく様は違和感なく観れて圧巻でしたね。

次はインターステラーでも観ようかなと思います。

 

 

以上