どうも。
放課後ひとり同盟
感想です。
<作品紹介>
2018年
著者 小嶋陽太郎
ジャンル 小説
あらすじ
女子高生の林は不幸続き。電車で痴漢に遭い、おばちゃんに花瓶を投げられる。そんなとき屋上でいつも空に向かって蹴る男がいる。林は乗り気ではないが、同じ学年のコタケさんに連れられ見に行くことに。
<感想>
林が空を蹴ること
祖母との付き合い方、父と母の不仲、同級生への苛立ち。
1つ嫌なことが起きると連鎖して、不幸が立て続けに起こる。
実生活に不幸が起きるし、同時に彼女の心も不幸になる。
そこでの蹴り男。たぶん蹴ること自体に意味はないだろうけど、蹴る時間は意味があっただろう。
彼女が蹴ることに時間を使うので、祖母、父母、同級生と過ごす時間が減り、1人で過ごす時間が増えた。
蹴ることばかりに集中するようになる、夢中になる。
人と過ごす時間が減ったのが却って良かった。
苛立ち、腹立つ、上手くいかないことから離れるので、心のストレスみたいなものを少なくする。
蹴ることに時間を使うことで、うちに溜まるものを発散するかのようになる。
そして再び人と関わることで、特に解決しているわけではないけれど、向き合い方が変わる。
変わると、ほどほどに良い状態の人との関係ができた。
良い終わり方だと思いました。
離れること
やっぱりストレスがかかったり、辛くなったりすることがどこかであって、それを一時的にでも離れるのが効果があったりするのだろう。
これはストレスや辛さだけの話ではない気がする。
たとえば、人と過ごす時間が自分の中でキャパオーバーになること。
人と過ごすことは問題ないのだが、その過ごす時間の感覚がいっぱいになると、自分の時間を過ごしたくなる。
自分の時間は1人になること。
1人で過ごすと回復したような、コップの水を一旦空っぽにしたような感覚になる。
そういった人との付き合いにも存在する気がする。
さいごに
自分の中のキャパは感覚で捉えているから、「あ、いっぱいやな」と感じたときは1人で過ごせばいいけど、この感覚が鈍っている時は対処する時間を逃してあとから、しんどくなってしまう。
この感覚をいつも通り発揮できれば良いなと思いますが、やり方は常に意識するみたいな神経が疲れることしか思いつかず、めんどくさいですね。
ぼちぼちやっていきたいです。
追記
放課後ひとり同盟って何のことだったんでしょうか?
以上