『アイ・アム・サム』【感想】All You Need Is Love””愛こそはすべて””

 

ショーン・ペンダコタ・ファニングが出演の映画。

ビートルズの曲が混ぜられた親子愛と偏見についての考えさせられる作品です。

出演者が映画賞に受賞されているので評価が高い作品とも言えます。

以下ネタバレありの感想です。

 

 

 

<作品紹介>

公開年  2001年

監督   ジェシー・ネルソン

ジャンル 人間ドラマ・アメリカ映画

 

 

キャスト

サム・ドーソン(ショーン・ペン)・・・主人公

ルーシー・ドーソン(ダコタ・ファニング)・・・主人公の娘

リタ・ハリソン・ウィリアムズ(ミシェル・ファイファー)・・・弁護士

 

 

あらすじ

知的障害のあるサムに娘ルーシーが生まれる。母親は病院を出て早々行方をくらまし友人たちや隣人の手を借りながら子育てをするのだが、サムが養育能力がないことを理由に引き離されてしまう。ルーシーと一緒に暮らすために周りの力を借りながら奮闘する。

 

 

 

<感想>

 

サムはルーシーを愛し、ルーシーもサムを愛す

子育てと親子関係

サムは自分が好きなビートルズの歌から”ルーシー”と娘の名前を決めます。サムの住む向いのおばさんアニーや友達たちの助けを借りながら生活をします。

 

親子の仲の良さを表すのは、ルーシーが寝る前に絵本を読んでもらうシーンや公園でブランコで一緒に遊ぶシーン。後者は映画のポスターかで見たことがあるかもしれません。明るさを表現していますね。

 

一方で、サムは知的障害を抱えているため、ルーシーが読む本についていけず気を使って別の本を読みます。しかし、サムは学校の先生にルーシーが学校の勉強を拒んでいる、父親以上に賢くなることを拒んでいると知ります。そして正直に話します。本を読んでほしいと。読めることがうれしいと伝えます。

 

この場面は親子間にある壁を乗り越えた大事なところと思います。二人が苦労することもありますが出来ないことはなく、サムとルーシーが親子としてやっていける、ある意味証明するような場面だと捉えました。

 

 

親子の引き離しから裁判へ

後述しますが、子育てをする能力、いわゆる養育能力についての話が出てきます。サムは弁護士のリタに依頼し、渋々受けてもらえます。そして検事などから本当に親として問題ないか質問され、リタと共に完璧な親はおらず誰もが悩みながら日々を過ごしていると、偏見をほどきながら理解を得ようとします。

 

 

愛は行動に現れる

裁判での弁論は上手くいかず、また親権が持てず終わりそうになりますが、サムとリタはあきらめず奮闘します。

 

その後、ルーシーは里親のもとへ行ったため、サムは娘に会いたい気持ちから近くの家に越してきます。里親は示しがつかないことに迷惑にそうしますが、ルーシーを父親のサムから離しては本人のためにはならないと気づきます。サムとルーシーの愛が認められた瞬間です。

 

愛について、ここでは誰かと競い合い得るものではなく、認めた者同士が一緒になることが前提にあるとするならば、里親の”一番愛せるのは私ではない”と一歩引く姿勢を見せるのは、どこか認めざるを得ないアメリカの競争的な背景を思い起こさせる気がしなくもないです。

 

”気づく”という部分に大切な意味を持たせていると思えれば、親子間の話、偏見の話などからサムとルーシーが幸せを取り戻せたと迎え入れられそうです。

 

 

 

愛だけでなく人の偏見も描かれる

裁判の話、弁護士リタ、そしてサム自身においても偏見と呼ばれるものが存在し、映画の一つのテーマとして考えさせられる内容に思えます。

 

裁判では、サムは知能の低さを指摘され子供を育てることに意見を申し立てる検事たち。弁護士リタは表面上協力的に見えましたが、彼女の意見にはサムを親として子を育てることに疑問が少なからずあります。

 

また、サムも自分だけがルーシーと暮らせずに悩んでいることをリタに思いをぶつけますが、彼女も1人の悩める親です。

 

そして場面は変わって、サムとリタは知り始めます。親の賢さだけが子を育てるに値するものではなく、多くの親が子育てを悩み苦しみを抱えている。

 

アニーの裁判での言葉より「ルーシーは”彼が親なのに賢い”のではなく、彼が親だからこそ賢い」。子供をバカにするものではなく、しっかりと親を見ていて愛情を求めている。大人たちが誰が育てるかの言い争いなど、子供の視点からでは嫌になりそうです。ルーシーは言います、”愛こそはすべて”。

 

 

補足として、児童福祉局や検事たちは子供のために最善の道を求めようとしていたのは確かです。それは、全体的は考えであれば間違いではないはず。しかし、彼らには見ようとしない点があります。

 

サムとルーシーが一緒に過ごしたい純粋な思いが含まれていなかった。そして結果論かもしれませんが、サム親子、里親、リタらは彼らが見つけた幸せな道を掴み取ったドラマでした。

 

 

 

ショーン・ペンの演技は良かった話

物語が良かった点を除いてショーン・ペンの演技が良かった話をしていきます。演技おいて、演技により内面の感情が作られることもあれば、彼の場合役の背景を使って、その人そのもの人生を演じる追体験ともいうべき方法を取るらしいです。そこに”演技が上手だなぁ”と感じます。

 

映画や他の作品を観て、細かいところに目がいき、演技の良し悪しを判断すると思います。感情や行動まで、その人の内面からなりきるものを感じ、演技以上の人物を見ることが出来るでしょう。演技派とでも言うのは、ここから来ているかもしれません。

 

 

 

さいごに

本作で出てくる絵本「緑と卵とハム」著ドクター・スースは、内容を見ると本作と大きく関係すると思いました。食わず嫌いで、食べてみると実は美味しいというお話が、上記で述べた人の偏見にも通じます。

 

実はそんなに悪いものではない、表面上だけでは分からないことを伝えており、ある意味本作以上の伝えるテーマがあり、深い映画であったと思います。

 

 

以上