主演アンソニーホプキンスとジョナサン・プライスは、前者は「羊たちの沈黙」で有名です。どこで見てもこの紹介が多いですね。
後者は「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「G.I.ジョー」に出演してました。名脇役といったところでしょうか。
どちらもよく見る顔ぶれです。
以下ネタバレありの感想です。
<作品紹介>
公開年 2019年
監督 フェルナンド・メイレレス
ジャンル 映画・ヒューマンドラマ
キャスト
あらすじ
教皇ヨハネ・パウロ二世が逝去。新しい教皇を選出するため世界中からベルゴリオ枢機卿らが集まる。そして次に選ばれたのがドイツのラッツィンガー枢機卿である。時が経ちベルゴリオ枢機卿は辞任願いを出したが、教皇ベネディクト16世(ラッツィンガー枢機卿)から返事ない。ベルゴリオ枢機卿はバチカンに向かい教皇と対話をすることになる。
<感想>
教皇も人間である
2人の教皇と言われるベルゴリオ枢機卿と教皇ベネディクト16世を観ていて思ったのは、人との会話から散歩や音楽、食事それから楽しみ(サッカー観戦)、悩みなど当然とはいえば当然ですが普通の人と同じように生活していることでした。
特に2人の会話で信条や罪について話している時はドキドキしました。本音の部分で話すのは人間が内面でぶつかり合う様子があるので、緊迫感のような空気が張り詰めている状態です。現実で目の前で起こったら気まずいのなんの逃げ出しそうですが、映画としては面白いです。
会話のところもですが、今作の魅力となる要素は表舞台に立っている人が、それも教皇らの裏側の姿を映画として描写することだと思います。もちろん教皇ベネディクトの別荘で2人が考えや意見の違いを語り合う一方で、食事を1人でするかしないかの話。「イエスは1人で食事をしなかった」から2人で食事を始める姿や教皇を辞めるか辞めたらダメという話などがベルゴリオと教皇ベネディクトの人物を掘り下げて、ひとりの人間という印象を与えられたと感じます。また喜怒哀楽もそう感じるのでしょう。
サッカー観戦も同じく、人が趣味に興じることも共感を感じる部分なのですかね。
保守と改革を越えた2人の話
大まかな違いと言えば、伝統を重んじる保守と時代に合わせて変化する改革が劇中で存在します。これは教会以外の組織でもままある事ですね。ただ、保守と改革の二項対立の構造が見られますが、もっと根深い話がありました。
ベルゴリオの独裁政権時代の自身の行動に罪の意識を教皇ベネディクトは司祭の事件対応に後悔をそれぞれ抱いています。人間らしさである自分の内を意識し、悩む姿具体的に描写され重い空気感があります。まさにこの描写がこの映画の特徴、核心的な部分だと感じます。
システィーナ礼拝堂「最後の審判」
あまり自信がないのですが、ベルゴリオ枢機卿と教皇ベネディクトがシスティーナ礼拝堂で対話していた場所にある絵がミケランジェロ「最後の審判」だと思います。筋肉質のイエスだったので。
映画の中から絵を見たわけで、迫力があるなと感じました。正面と左右に壁の上の方にあり、ベルゴリオ枢機卿が礼拝堂に入っていった時が、そこにあるだけなのに絵が大きく広がりを見せたのは凄かったです。
「聖アンナと聖母子(蛇の聖母)」
絵の話でいくと、ベルゴリオ枢機卿が教皇ベネディクトの別荘で泊まることになった時の部屋でのシーンです。そこで出てきたのがカラヴァッジョの絵です。「聖アンナと聖母子(蛇の聖母)」はキリスト教では悪として象徴である蛇をイエスの力を借りて聖母子が退治するという主題です。
この後からベルゴリオ枢機卿と教皇ベネディクトが対話をすることになります。主題より誰かが教会の悪しきものを振り払うことを暗示する、そんな予感を作っているのではないかと調べて思い至りました。
さいごに
今作は人間ドラマが中心の映画でした。2人の教皇が過去を話をする場面は暗い雰囲気を出しており、食事やサッカー観戦では陽気な姿があります。
教皇という大きな存在を丁寧かつ大胆に描いたものだと思います。
実在の人物を用いた映画で上記のような描写を楽しみたい方にはオススメですね。
以上
<参考>