『ザ・キラー』【感想】暗殺者の意外な映画だ

 

デヴィッド・フィンチャー監督作品で、どこかで聞いたことがあるなと調べたら「セブン」(1995)の監督でした(すぐ忘れる、、、)。

 

それから主演がマイケル・ファスベンダーが出ていることから面白そうだと思い観てみました。

X-MEN」シリーズが懐かしいです。

 

以下ネタバレありの感想です。

 

 

 

 

あらすじ

暗殺者である”ザ・キラー”は任務である仕事が失敗し、後始末として恋人が襲われる。大切な人を狙われた怒りから、復讐を決意する。

 

 

 

感想

コメディっぽいけど、実はそんなことなかった

観始めたときは、超一流の暗殺者が任務に失敗して後始末として狙われるが返り討ちにする、そんなストーリーを想像しました。

 

ただ今まで観たことのあるアクションスリラーとは違った印象があります。

 

すごい自分語り(ナレーター)をするなぁと暗殺者の完璧さがなかったことです。

 

他のキャラクターが出てきて話をしたり、ミスひとつ許されない状況のなか暗殺の精錬された描写が見れると思いきや、そうでもなかったです。

 

ただ、期待したものがハズれたという思いではなく、別の形で物語が展開していきます。

 

どこが別の形であるかは、冒頭の暗殺の失敗、ハンドラー(弁護士のおじちゃん)からの情報の聞き出しが失敗、ドロリス(おじちゃんの秘書?)への感情移入と思った以上に色々な出来事がありましたね。

 

この出来事だけだと、もはやコメディかと思いますが、職業の視点からみていくとおかしな状況ではないのかもしれないです。

 

職業の視点は、ラストシーンの”ザ・キラー”のナレーションで

「自分の未来は予測不能だ。与えられた短い時間で、これを認められないなら、あなたは数少ない一人なのではなく、俺のように数ある一人かもしれない」

と。

 

職業人の一人の物語で展開されていくことを知ると、一風変わった映画が暗殺者の仕事について語られたものだと捉えられそうです。

 

笑ってしまったので、面白いのは確かです。

 

 

 

暗殺者の物語と職業の物語

前述した職業としての暗殺者の物語をもう少し話したいと思います。

 

映画「ザ・キラー」では、復讐を成そうとする物語と一人の職業として表した物語がありましたね。

 

興味深いのはやはり後者です。

 

具体的には、”ザ・キラー”の恋人を狙ったザ エキスパート(綿棒の人)という暗殺者との語りとラストシーンにあった”ザ・キラー”の顔のけいれんです。

 

正直、綿棒の人の語りは視聴中はよく分かっていませんでしたが、熊のたとえ話で目的と手段が変わっている話だと思います。

 

働きだして「いつかは絶対に辞めてやる!家を買って優雅に暮らしてやる」と言っていた人が、仕事一筋になることだと認識してます。

 

そうするとラストシーンに”ザ・キラー”がドミニカの家でくつろいでいるときに、顔のけいれんがあったのは、この状況に対して違和感や”なんかちがう”の反応かもしれません。

 

以上から、”ザ・キラー”は暗殺者という職業に染まっていると捉えることができそうです。

 

「96時間」「イコライザー」のようなバチバチに戦って任務完了映画とは別物に思えます。

 

 

 

さいごに

思いのほか、深い映画に感じました。

良い意味で期待をハズす、良い作品だったのではないかと。

(この場合は期待を越えるかな、、、)

 

余談ですが、映画の内容が分かりやすい記事があったので以下に貼っておきます。

その記事を参考に書いてみたのですが、ん~文章を書くのって難しい。

 

 

以上

 

 

<参考>

realsound.jp