『ロボコップ』【感想】演出もピカイチでした!

 

以前読んだ映画関連の本で、「ロボコップ」(1987)について書いてありました。

監督ポール・バーホーベンが映画作りにおいて、演出がど派手というか、残虐描写にある意味定評がある内容でした。

あと「ロボコップ」の名前はよく聞くので、気になって観てみました。

以下ネタバレありの感想です。

 

感想を書く前にブログの書き方って決まってはないはずですが、一度型を決めて書き始めると、その型にはめて書かないと違和感を覚え始めました。

 

しかし書いていて思うことがありました。

 

その型がめんどくさいです。

 

趣味でブログをやってるとはいえ、疲れてしまっては元の子もないので今回は型なしでつらつら書いてみようと思います。

 

他の人は一体どういう心境で書いているのでしょうか。

 

謎です(調べろよって話ですが、、、)。

 

 

前置きはこの辺にして、映画「ロボコップ」は殉職した警官が企業の思惑によって、死んだ遺体からロボット警官として蘇らせる。

 

悪を倒し正義をもたらす、そんなストーリーがありました。

 

シンプルなヒーロー映画だったと思います。

 

ロボコップは自分の正体が悪徳企業によってもたらされた結果であり、そんな悪事は許さないのと個人的な怒りがあって成敗しました。

 

ロボコップの大きなきっかけと自分探しは少しバットマンに似ている気がします。

 

バットマンは街の平和と自身の恐怖を払拭する流れは、ヒーローが自分を今一度見つめ直し、信念であるやるべきことを全うする王道があったように思います。

 

本作は自分の探る(記憶を行方)と監督による残虐描写にインパクトがあり、映画の面白さがあったはずです。

 

またSF近未来と残虐描写で一味違ったヒーロー映画になっていると言えそうです。

 

 

と、本当にインパクトが強い作品になっていましたが、そのインパクトとヒャッハー!な敵が成り立つ理由を考えたくなりました。

 

イメージとして北斗の拳に出てきそうなヒャッハー!がいましたね。

 

敵役の登場人物がおかしな方向へ振り切っているのは、それがムカつく感情を出させようとしているのではないでしょうか。

 

ストーリーが進むにつれ、排除したくなる、横に避けておきたいなどの気持ちがあります。

 

そしたら誰がしれくれるのかと言ったら、ロボコップですね。

 

観る人の精神を利用したものを感じます。

 

さいごに敵役を倒しスカッとする、振り子のような作用があったと思います。

 

改めてその心理的作用を利用したとすれば、よくできた映画でしたね(少し偉そうですが、、、)。

 

また主人公マーフィがマフィアたちの銃撃を浴びボロボロになるのは、あまりにも細かく表現されていました。

 

これでもかというくらい。

 

観客を不安をあおりロボコップが復活し逆転劇を見せる様は、待ち遠しくさせる要素かもしれません。

 

 

以上