『インサイド・ヘッド』【感想】感情たちのキャラクターによって感情が動かされた、、、

 

感情の勉強の一環とディズニー作品を観たいってことで、「インサイド・ヘッド」を観ました。

感情は自分が思うより分かりづらく複雑なので、感情を知るための参考になれば良いなと思います。

以下ネタバレありの感想です。

 

 

 

<作品紹介>

公開年  2015年

監督   ピート・ドクター

ジャンル コメディ・ドラマ・アメリカ映画

(ピート・ドクターは「モンスターズ・インク」、「カールおじさんの空飛ぶ家」などの監督)

 

 

キャラクター(ライリーの感情たち)

ヨロコビ・・・主人公、感情たちのリーダーポジション、明るい

カナシミ・・・もうひとりの主人公、ネガティブ、感情に博識、暗い

ムカムカ・・・姉御的存在

ビビリ・・・怖がり

イカリ・・・何かあるたびに怒る

 

 

あらすじ

ライリーの脳内にあるヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリ、イカリ。彼女の出来事をきっかけに、心の様々な変化に立ち向かうアドベンチャー物語。

 

 

 

<感想>

 

感情がキャラクターという表現は面白い

感情であるヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリ、イカリといった感情単体が、ひとつのキャラクターになるのは面白いと思いました。頭の中で会話をしているのが、具現化されたようです。

 

それぞれの感情たちがライリーのためを思い行動することで、感情が動くという表現が楽しく観れるし、そこにドラマがあり、感情にも思いがあると気づきました。

 

特にカナシミの感情は、ネガティブな感情として敬遠の対象になりうる、あまり心の中にいてほしくないなぁと思ってしまいます。

 

しかし何か悲しいことがあった時、悲しい気持ちを置いておいたままにするとムカムカ、ビビリ、イカリの感情が残り、またモヤモヤ感があったりします。劇中の司令室に前述のキャラたちが残っていたのはそのためかと思います。

 

そうしたなか、「私はこう思っている」「こんなのがしたい」と伝えるのは大切だと表していたはず。

 

思いを共有しないと、何を考えているかが伝わらなかったみたいですね。ライリーの両親が戸惑っていたように。

 

そしてライリーの空想上の友達ビンボンが悲しがるシーンがありましたね。カナシミは話を聞き、共感します。

 

悲しさを共感し、寂しさや辛さを分かちあう必要があったのでしょう(落ち着きも)。

 

ストーリーとカナシミのキャラを通して、悲しさはそんなに悪いものではないよねと、感じ取れる作品だと思います。まさに悲しさを受け止める時間でしたね。

 

 

 

ヨロコビとカナシミの旅について

ライリーが父親の都合で引っ越して契機に、彼女の感情である喜びが減り悲しみが増えたようでした。

 

頭の中のカナシミが思い出の玉を触りまくっていたのは良い例です。その後、ヨロコビトとカナシミは半分事故みたいなものから、司令室を飛び出しました。

 

ヨロコビとカナシミの旅が始まるわけですが、徐々に疑問が湧いてきます。

 

喜びから悲しみに変わるのは、なぜだろうか?そもそも悲しみとは何か?そしてライリーの幸せとは何か?

(まぁ疑問の大半はwikipedia見て思いました、、、)

 

 

まず、喜びが悲しみに変わるのは、ライリーが大好きなミネソタの土地を離れたからでしたね。

 

ライリーの気持ちが寂しさや辛さになり、もはや悲しくなるのは必然であります。たとえば、買い求めた商品がなくなっていたら悲しいです。まだ分かりやすいですね。

 

 

つづいて悲しみとは、とインパクトある言い方になりましたが、ライリーの出来事より、ミネソタを「離れたくない」「戻りたい」と思ったときに、人の期待や欲求を満たしてくれないと出てくる感情と思いました。

 

これは怒りの感情に似ている気がします。「こうしてほしい」「~のほうが良い」といった具合に、期待と欲求を満たしてくれないと怒りが爆発します。(詳しくはアンガーマネジメントを参考に)

 

改めて悲しみとは、期待や欲求が満たれないと起こる、人の共通した感情かもしれません。

 

 

さいごに、ライリーの幸せとは何か?またインパクトのある言い方ですね。

 

幸せを考える際、ヨロコビのキャラクター視点でみていくと分かりやすそうです。

 

ヨロコビは、ライリーを楽しませようと、喜びの感情でいっぱいにしようとします。

 

しかし、ライリーの出来事、引っ越しによって崩壊。

 

喜びも悲しみもなくなり、ムカムカ、ビビリ、イカリが残るモヤモヤ状態に陥ります。

 

物語を追っていくなかで、ライリーがミネソタに帰ることが幸せですが、もうひとつあると思いました。

 

ライリーの幸せは、悲しみを共有することです。

 

どこが幸せになるんだ、と自分で書いて思いましたが、幸せにつながると解釈した方が良さそうですね。

 

ライリーはミネソタが恋しい、アイスホッケーをする友達に会いたい思いを両親に話すことで、気持ちを分ちあいました。

 

悲しいからこそ伝えることがあるというか、悲しいから思い出深くなったのでしょう。

 

また、幸せは家族と共にあるみたい感じでしょうか。

 

ヨロコビとカナシミが思い出の玉に触れた理由のひとつでもあり、幸せにつながるストーリーがありました。

 

まとめとして、ライリーは頭の中で感情を整理し、気持ちを伝える成長があったと捉えることができますね。これがヨロコビとカナシミの旅だと思います。

 

 

 

ビンボンと出会いと別れ

ライリーの空想上の友達であるビンボンがヨロコビとカナシミの前に現れ、道案内をしてくれましたね。

 

正直な話、なんかよく分からんキャラクターが出て来たなと思いました。

 

近道だからと立ち入り禁止エリアに堂々と入っていきますし、個人的には道案内キャラで終わるはずでした。

 

しかし、「記憶のゴミ捨て場」での出来事はとても印象的でした。

 

まさかビンボン自身は思い出してもらうのを諦め、ライリーの感情を取り戻すことを優先するところは、胸に来るものがあります。

 

本作の陰の立役者とでもいうのでしょうか。意外性をもって良かったです。

 

 

 

さいごに

インサイド・ヘッド」は人の感情を中心に物語があり、主に喜びと悲しみについて触れられてきました。

 

改めて人の性格を形作るのは、喜びや悲しみをはじめとする感情の持った思い出が関係し、そして感性を養うには感性を動かす体験が必要だと知りました。

 

喜びや悲しみなどから性格が作られることより、人そのものも何を体験するかで変わってくるのかと思うと、自身の行動の内容が問われてもおかしくはなさそうです。

 

 

以上